1993年3月に水島昭二博士(故人)が東京大学分子細胞生物学研究所を定年退官し、同年4
月に東京薬科大学教授として赴任した時にこの研究室の歴史は始まる。初沢清隆博士および森博幸
博士(現・京都大学ウイルス研究所・助手)が助手として採用され、初沢博士は小胞体における膜
透過の研究のために九州大学医学部・大村研究室に、また森助手は大腸菌膜透過の研究のために東
京大学分子細胞生物学研究所に派遣された。1993年12月に生命科学部の研究棟(研究3号棟)
の工事が終わり、また月末には生命科学部が文部省に認可されて研究3号棟での研究をスタートで
きる条件がそろった。翌年(1994年)1月には多賀谷光男博士が大阪大学産業科学研究所より
助教授として、谷佳津子博士が米国スロンケッタリング記念癌研究センターより講師として赴任し
て研究が本格的に始まった。4月には生命科学部がスタートしたが、この時、研究補助員として古
野暁子氏が多賀谷グループに加わった。同年11月には東京工業大学・吉田研究室から佐藤健君
(現・東京大学・准教授)が、水島グループに加わった。水島教授は学部長として非常に忙し
い毎日を過ごしながらも研究に精力的に取組み、当研究室は順調に研究業績を伸ばした。しかし、
1995年8月膵臓癌であることが発覚し、半年間に及ぶ闘病生活の後1996年3月8日に帰ら
ぬ人となった。その後、1996年4月に九州大学・姫野研究室から山口智広君(現在兵庫県立大
学理学部助教)が多賀谷グループに加わった。森博士が京都大学ウイルス研究所の伊藤研究室に助
手として転出した。水島教授の研究の中心は大腸菌における膜透過機構の解析であったが、森博士
の転出などによって研究室の中心課題は小胞輸送に移った。1997年4月1日に多賀谷が教授に
昇任し、4月から研究室に4年生が15名加わって卒業研究を開始した。6月には真島淳博士(現
DDJB)が博士研究員として加わった。1998年3月に初めての卒業生が出、同年4月より大学
院生命科学研究科がスタートした。1999年には徳島大学から長浜正己博士が加わった。20
00年3月には初めての生命科学修士、2003年3月には生命科学博士が誕生した。博士誕生
と時を同じくして、初沢助手は福島県立大学医学部の講師となって栄転した(現在准教授)。初沢
博士の後任として望月康弘博士が同年9月に赴任した。2005年1月に望月博士は東京大学先端研
究所へ転出し、3月には長浜博士が徳島大学工学部の助教授として研究室を去った。同年4月から
後藤徹哉博士と有光なぎさ博士が研究室のスタッフとなった。後藤博士は2006年9月に米国へと
留学し、2007年4月からは研究室出身者の佐藤精一博士が助手となった。